[運営日記]シャトルが繋いだ輪ーバドミントン交流会を終えて

イベント情報
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↑プラハオープンで女子シングルス、ダブルスで優勝し、しっかり成績を残した2人。

パラバドミントン選手を交えたバドミントン交流会を実施した過程を記録する。

2023年夏。レトナー公園でミートアップピクニックに参加してくれたフィリップ。
ラケットケースを背負ってきた。テニス?と聞くと、バドミントンを長くしているという。
その日のうちに仲良くなった日本人駐在員とそのまま朝まで飲み明かしたらしい。

2024年新春。謝肉祭をみんなで見に行こう!ツアーを行った時。申込をしていなかったフィリップがいた。
フィリップはたまたま日本人をトラムで見かけて話しかけると、謝肉祭にいくというのでついてきたそうだ。その時もラケットケースを背負っていた。

その時、フィリップは先に帰ったのだが、夫の駐在でチェコにきたばかりの参加者まみさんに何気なく、「フィリップは日本語が堪能で、バドミントンをしてるんですよ」と話しかけると「え!私もバドミントンをしていて、こっちでもやりたいなぁと思っていたんです!」それから、フィリップとまみさんをつなげ、まみさんは社会人バドミントンサークルに入った。

翌月のスナックまみ。
カレル大学の日本人医学部生が「学生以外の日本人と日本語話したい!」と6人程が、スナックまみにやってきた。医学生のゆき君に「なんで医学部にきたの?」と聞くと「僕はもともとバドミントンをしていて・・・」。「じゃあ、プラハのバドミントンしてる人紹介するよー!」と、まみさんに繋ぐことにした。

しかし、ゆき君の連絡先を聞きそびれた。学生ライングループに「カレル大学医学生、好青年、めっちゃいい子、ゆき君。誰か連絡先知りませんか?」その日のうちに連絡をもらえた。

バドミントン社会人サークルに入った先述のまみさんに、ゆきくんを紹介したいと連絡すると、コミュニティハウスのチェコ語クラスで同じのえみかさんも誘って一緒にバドミントンをしていることがわかった。バドミントンの輪が広がっているようだ。

翌月。
フィリップと朝まで飲み明かしたチェコ駐在員の方から「以前在チェコ日本大使館で勤めていた外交官から、パラバドミントン日本人選手がプラハの大会に来るので、応援の案内をしてほしいと連絡があった。何かできないかな?」と相談があった。

点と点が繋がった。とひらめいた。

そこからパラバドミントン協会に「観戦は、参加ハードルが高いと思うので、一緒に選手とプレーする交流会はどうでしょう?」と逆オファーをかけると、パラバドミントン協会も快諾いただき、交流会に至る。

急いで大使館にイベントの後援申請をし、交流会が大使館公認になる。
大使館側のパトリツィエさんには、以前も大使館の部屋を借りるために、挨拶に伺っていたので、話は早かった。初めての申請で手間取ってしまったが、丁寧に説明していただき、大使館の公式サイトやソーシャルメディア、メーリングリストで告知を流してくださった。

これまで様々なイベントをしてきたが、初めて大使館から後援をいただいた。

これまでどこの馬の骨かもわからない個人だった私が、コミュニティハウスの代表となり、大使館からの公認を得られたことで、日本人学校へのチラシ配布ができるようになった。

ここでも重要なキーマンがいる。日本人学校にチラシを配ったらどうだろうかと日本人学校の方がアイディアをくれた。さらに、日本人学校の管理職の方が、非常に話のわかる方で、間口を広げてくれ、こどもたちのためになるならとチラシ配布を受け入れて下さった。
全校生徒へのチラシ配布のおかげで、即日5家族から申込があった。

フィリップにバドミントン会場をおさえてもらい、フィリップ、まみさん、ゆき君、えみかさんに経験者として参加してもらい、見学含め20人以上の参加があった。
まみさん、ゆき君は選手の試合前のアップに付き合ってもらtたり小学生たちの指導もお願いした。

終了後、参加者の学生時代バドミントン部だった駐在パパもまみさんに繋ぎ、社会人サークルを紹介してもらった。

今回のバドミントン企画が1回きりでおしまい、みんな解散。ではなく、まみさんのおかげで、その後も交流が生まれる機会ができた。イベント企画者としては、こんな有難いことはない。自分の知らないところで、自然発生的につながりが生まれたのは、コミュニティのあるべき姿、実現したいものだからだ。

子どもたちは、放課後に友達とバドミントンを楽しめただけでなく、学校や家庭以外の大人達と一緒に交流ができ、さらに、未来のオリンピック選手達とプレーもできた。イベント後は、サインをねだっていた。

子どもたちの純粋な信じる気持ち、応援する気持ちを見て、これが推し活、応援の原動力となるのかと気づいた。

選手達はサインなんて書いたことがない!と焦っていたが、同伴した平野会長は「このサインに価値が出るように頑張ろうね」と選手達に声をかけていた。

日常生活で障がい者の方と出会うこと、触れ合うことはほとんどないが、バドミントンを一緒にすることで、なんら違いや障がいを感じることなく一緒に過ごすことができた。子どもたちにとって、日の丸を背負って、世界で活躍するかっこいいお姉さんとの出会いが、障がいが遠い知らないものではなく、日常に共存しているものという体験になれば幸いだ。
彼女達のサイン第1号がプラハにありうれしく思う。

義足の澤田選手は20歳。車椅子の友寄選手は高校生。会う前は、失礼なことを言ってしまったらどうしよう、何をお手伝いすればいいのだろう、何ができるのだろうと不安があったのだが、障がいのことが全く気にならないくらい本当に普通の女の子たち。というよりも、オリンピックを目指すプロの選手。私自身が持っている、偏見に気付かされ、取り払うことができた。子どもたちと楽しそうに話し、試合会場でも、別の外国人選手と連絡先を交換していた。彼女たちに出会えたことで、視野が広がった。来年もまたプラハに来てほしいし、世界大会を画面から応援したいと思う。

平野会長、澤田選手、友寄選手は、今回の企画でバドミントンを体験し、サークルに入ったり、ラケットを買った人たちを見て、喜ばれていた。少しでもバドミントンに興味を持つ人がいてくれたら嬉しいと。

翌日の本番の試合も日本人家庭3家族が試合会場で観戦した。

ジャパンコミュニティハウスを2024年1月からオープンして、いろんなとこから飛んできたシャトルの縁がポンポン繋がり、今回の企画になった。

JCHは、企画に参加することだけを価値提供、サービスとしていない。家、学校、職場ではない、第三のみんなの居場所であるJCHの企画を通じて、心が動き、次の一歩が踏み出せ、昨日との違いをお土産に家に帰ることが価値提供で、それが実現できるように企画を組んでいる。

今回の参加者、支援者、関係者、縁を繋いでくださった皆さんには感謝している。彼らのために、できることをまた探そうと思った。

そして、コミュニティハウス代表として私自身も学びがある企画だった。

同伴したパラバドミントン協会会長の平野さんは、50代で協会に関わり、コーチ、会長となった。

立ち上げからたった8年で、パリパラリンピックに11名を内定させた。世界で120人ほどの選手枠のうち11人が日本人選手という意味だ。
選手の実力ももちろん必要だが、障害カテゴリーに登録するための手続き、医者との資料作りなど、選手が有利になるカテゴリーになるための事前の準備が大事だそうだ。
日本のパラスポーツの中でも、珍しく、専用のトレーニング施設があり、ダイハツという大企業がスポンサーになっている。

私は、平野会長と、話していると、「この人、絶対いい人〜。みんなから愛されてそう〜。友達になりたい〜」とメロメロになってしまった。
こういう人を人たらし、人望があるというのだと思った。
平野さんの人柄でスポンサーやトレーニング施設の契約に至った可能性は大いにある。

私には、人望はあるのか?と自分に問うた。人望のある人間性は組織を成長させるという学びを平野さんから得た。目先の企画や集客数というアウトプットばかり気にしていた。コミュニティ作りの中心として、人に頼りにされ、人が集まってくる人間になるという課題をJCHのために自分自身に課したい。

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